こうなった経緯について 2

さて、「不動産屋になることを勧める本」を手にとって、大学時代のバイト先の常連、不動産業のKさんの記憶までつながったところで、自分自身が宅建士試験を受験するというのはいささか飛躍し過ぎなのだが、そのあたりの経緯も説明しておく。

本のことが頭の片隅から離れず、この先の人生、Kさんの様になれないかと考え続けていた。年一度の取引で2,000万円も稼げなくても、ボーナスもないフリーランスの私に、その10分の1、いや20分の1でも稼ぐことができないかと真剣に考えていた。

そんな折、母親と庭の家庭菜園でトマトの手入れをしている時に、数年前に御夫婦相次いで亡くなり、空き家になったお隣さんが、いよいよ売りに出されるかもしれないという話を聞かされた。

母親は「うちにはあんたたちが居てくれるけど、ご近所や親戚でも住む人が居なくなると家は心配の種だね」という感想を漏らした。その一言が「俺が不動産屋になって仲介してあげよう!」という、なんとも唐突で、押し付けがましく、上からの目線の決断を促した。

我が家は、とかく親戚が多い。そして、この界隈では長く住んでいて祖父が商売をしていたことから町内でも知られた家である。その伝手で、あわよくばこの先10年から20年くらいは手数料得られるのではないか、もちろん縁故知人ディスカウントはしてあげよう。そんな恐ろしいほどの打算であった。

急ぎ部屋に戻り、宅建士試験の情報を調べた。
2025年(令和7年)試験の申込みはWebで7月31日まで。決断のその日は7月28日であった。

さて、どうする?

私は、試験の概要を調べるより、問題集を買うより先に受験申込みを行った。

「受験手数料、8,200円也」

まさに見切り発車である。

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